飲食店経営2005年9月号掲載

中村 葉子 さん

【略暦】
1970年、神奈川県相模原市生まれ。栄養士の資格を取得し食関連の仕事に就きたいという気持ちから、短大の栄養学科に入学。しかし、卒業後は大手電機 メーカーに就職し、その間にパン教室や雑誌で知ったジャパン・フードコーディネーター・スクールに通いながら、自分の方向性を絞り込む。94年「ビゴの 店」に転職し、鷺沼店で本格的なパン作りを身に付ける。99年退職。約2年間の充電期間の後の2002年、八王子市七国に「ブーランジュリー ラ・フィーユ」を独立開業。この6月で4年目に入った。


ブーランジェリー(パン店)は、パティスリーとともに今や女性に人気の職業である。オーブンから焼き上がったばかりのパンの香りと味わいは、スー パーマーケットの棚に並んだ大手べーカリーのパンでは味わえない。いろいろな形や味のパンをそろえたブーランジュリーは魅力的だ。しかし、その魅力とは裏 腹に、パン作りは大変な仕事だ。真夜中の3時、4時から作業を開始しないと、昼の時問に焼きたてのパンを店に並べることはできない。しかも、パン生地の発 酵が出来不出来を大きく左右するため、作業中は時問との闘いでもある。拘束時問も長い。それでもなお、パン作りには独特の魅力があるという。そんなパンの 魅力に取りつかれた一人が「ブーランジュリー ラ・フィーユ」の中村葉子さんである。

中村さんは学生のころは、ただ漫然と「食」に関連した仕事に就きたいと思っていた。まずは、栄養士の資格を取るために短大の栄養学科に学ぶ。しか し、確たる方向が定まらなかったため、まったく畑違いの電気メーカーに就職。その勤めの合間を利用して、パン教室に通うなどして、自分が進みたい食のジャ ンルを模索してきた。そうした状況にあったときに雑誌で「ジャパン・フードコーディネーター・スクール」の存在を知り、1年間通った。「食」といっても、 いろいろなかかわり方があることを知った。同時に、自分が進む方向が「作り手になること」だと確信した。「自分が一番好きで関心のあるジャンルが何かと考 えたら、自然とパン作りに定まりました」スクールを卒業した年に会社も退職。そして入ったのが、パンの世界では有名な「ビゴの店」の鷺沼店だった。1年問 は、販売やカフェで接客サービスの担当。その後、製パンに部署が替わり、5年問弱で一通りのパンを作れるまでになった。「30歳という年齢を前にして、こ の先、どうしようかと考えました。そして、せっかくここまで来たのなら、自分が作ったパンをいろいろなお客さまに食べてもらえる店を持ちたいと思ったので す」

当初は、相模原の住宅の一部を改装して開業しようと計画を練った。ごくわずかな量だったが、パンを作って販売もしてみた。しかし、実家の周辺は、 中村さんが思い描くブーランジュリーの立地や客層と違うと判断した。そして次に選んだのが、現在の八王子みなみ野の地だった。 同地は、ここ10年ほどの問に造成され、宅地化が進む新興住宅地。JR横浜線沿線にあり、都心までは距離はあるものの、横浜までのアクセスが良い。まだま だ空き地が目立つものの、二戸建てが多く、中村さんが中心客層と想定する30~40代のニューファミリーが多い。新規出店にはちょうどよいと判断しすぐ物 件探しを始め、開業プランを練った。開業資金は、当初公的機関の融資を受けるつもりだったが、自身の蓄えと両親から借りて賄うことにした。運転資金を含め て2000万円を準備した。施工はパン店の開業を多く手掛けている業者に依頼し、店づくりに入った。20坪の面積をどのようにレイアウトするか、売場の ショーケースの大きさや色使いなど、あまり迷うことなく、業者に指定を出すことができた。「結構スムーズに店づくりができました。無意識のうちに、フード コーディネーター・スクールで学んだことが生かされていたのだと思います」

こうして2002年6月6日にオープンした。梅雨時の6月は、パン店にとっては売上げを期待できない季節である。しかし、中村さんはあえて暇な季 節に開業した。オーブンをはじめ、新しい機器はとても扱いにくい。当然のことながら、パンも思うように作れない。慣れるにはどうしても数カ月間を要する。 そうしたことを考えて、あえて暇な時期を選んだという。当初はパンの種類も20~30品と少なかったが、徐々に品数が増え、現在は常時50~60品を置 く。あんパン、クリームパン、デニッシュといった菓子パン、食パン、バゲットなどのハード系、さらには干しブドウを自分で発酵させた天然酵母を使ったパン まで幅広い品揃えである。

「ハード系のパンだけを作りたいと思っても、この場所では商売として成り立ちません。私はここをあくまでも地域に深く根付いた店にしていきたい。お子さま からお年寄りまで幅広いお客さまに支持されるには、バリエーションが不可欠だと思います」1品当たりの個数を少なくして、手問のかかる種類を豊富にするこ とに力点を置く。そして中村さんの父の健氏が育て、収穫したブルーベリーをフィリングに用いたデニツシュも作れば、あんパンのあんも手作りするなど、既製 品を使わない。あくまでもパンの品質にこだわる。常に自分のスタンスを保ちつつ、進む方向を定めてきた中村さん。八王子みなみ野の町にオープンして4年を 迎え、いよいよこれからが正念場。ぜひとも店を町に根付かせていただきたい。