飲食店経営2005年10月号掲載

八重川 朋子 さん

【略暦】
1972年、東京都・世田谷生まれ。上智大学卒。96年新卒でアサヒビール(株)に入社し、東京南支店に営業内勤として配属される。営業担当者のサポート を通して飲食店の販売促進に興味を抱く。フードビジネスに関する企画力を身につけたいと思い、98年にジャパン・フードコーディネーター・スクールに入 学。同年1月、同社秘書部に転属。2001年、飲食店のサポート部門として、(株)フルハウスが新設されることになり、そのスタッフの社内公募に合格。以 来、企画部に所属し、営業部と連携を取りながら、飲食店の商品開発をサポートする一方、ホームページ上の料理企画を担当する。


 
今やビールメーカーは、ビールのみならず、ワイン、焼酎、酎ハイ、洋酒などをそろえた総合酒類メーカーとしての様相が色濃く、顧客である飲食店のビバレッジを担う重要なポジションにある。それだけに、各ビールメーカーの営業活動は熾烈かつ多様化している。
 
そうした状況から、アサヒビールでは2001年に飲食店に向けた提案営業を支援する新組織フルハウスを立ち上げ、そのスタッフを社内公募すること になった。そこに名乗りを上げたのが、当時秘書部に所属し、役員秘書を務める八重川さんだった。「日頃あなたがやりたいと思っていた仕事とぴったりでは」 という上司や周囲の同僚からの声に後押しされて、八重川さんは応募を決めた。そして、面接当日、八重川さんは3年前に通ったジャパン・フードコーディネー ター・スクールで卒業課題として作成した飲食店のプランを持参。店舗のコンセプトから個々の商品の細部に至るまでの、約30ページからなる企画書だった。 そこに八重川さんの明るいキャラクターが重なり、「社内にこんな人材が埋もれていたのか」ということで、即決定したという。八重川さんが入社6年目にして 得た転機だった。

八重川さんは、アサヒビールに入社後すぐ東京・大森にある東京南支店に配属、営業内勤として、外回りの営業マンのサポートをしていた。同支店の管 轄区域には飲食店が多く、常に出入りしている酒販店の対応と電話による受注が当時の主な仕事内容だった。「それまで縁のなかったワインの名前が頭に入って こなくて苦労しました」ワインリストを前に電話注文を受けても、相手が早口で告げる銘柄名は瞬時に判断できなかった。そのもどかしさを克服したい。そんな 思いから、夜は同僚の営業マンと一緒に、得意先の飲食店を巡り、ワインを飲んで味と銘柄を覚えた。さらにスクールに通い、ワインの知識を身につけ、ついに はワイン・アドバイザーの資格を取得するまでになった。ちょうどそのころ、新たに輸入したワインを販促することになり、八重川さんは、ある中国料理チェー ン店とタイアップしたフェアを企画。それが予想を超える好成績を生み、八重川さんは企画立案の面白さを実感。もっと本格的に飲食店のサポートにかかわりた い、売り上げに貢献したい、という気持ちから、自費でジャパン・フードコーディネーター・スクールに入学した。終業後週2回の授業を受け、商品としてのメ ニュー開発やコーディネートを身につけた。ところが、スクールの卒業まであと3ヶ月というところで、秘書部への異動。商品開発や飲食店サポートの仕事がし たいという希望からはいくらか遠ざかったが、役員秘書として勤務に励みながらスクールに通い続け、修了した。そのときに製作した企画書が、その後の転機を 生むことになるとは、当時は全く知る由もなかった。

そうした時に、冒頭に触れたフルハウスの社内公募がりあり、見事合格したのである。「でも、フルハウスに移った当初はどのようにして営業部と連携を取ったらいいのか、顧客である飲食店をどのように支援したらよいのか検討がつかず、全く手探り状態からのスタートでした」

そこでまず八重川さんは、営業スタッフがクライアントの飲食店に出向く際に持参してもらえるよう、写真入り料理レシピを作成し社内イントラネット 上に掲載した。このレシピが営業担当者の間で好評を得て、徐々に部署間の連携を取っていけるようになった。しばらくすると営業部から「得意先にメニュー提 案をしてほしい」という依頼が寄せられるようになった。当初は地方都市の居酒屋メニュー開発が中心だったが、最近ではカフェのフードメニューや新規出店す る店舗の看板メニュー開発など、業種・業態の枠を超えて着実に実績を上げている。八重川さんが手掛けてきた料理レシピの数が700を超えたことから、それ らを消費者向けに展開していく試みでアサヒビールのホームページ上で公開することになり、その担当も兼任することになった。

営業部と組んで年間役30件の得意先のメニュー開発にかかわるコミュニケーターとして活躍しつつ、一方では企業内フードコーディネーターとして、 ウェブサイトに掲載する料理のテーマ決めから、社外の料理研究家やテーブルコーディネーター、カメラマンとの打ち合わせ、撮影メニューの調理、撮影の立会 いと数々の仕事をこなす八重川さんはまさに水を得た魚といった感がある。そんな多忙な中でも、プロジェクトの企画・立案段階からそれを具現化する調理・撮 影段階までの流れでギャップやイメージの未達が生じたりしないよう、企画から撮影や仕上げの段階まで自ら立ち会うことにしているのも八重川さんの信条だ。 フードコーディネーターはフリーランスで活躍する人も多いが、八重川さんは「今後もあくまでも社内コーディネーターとして、食のスペシャリストであること を追及していきたい」と語る。