飲食店経営2006年12月号掲載

新田 亜素美 さん

【略暦】
1975年生まれ。東京都出身。幼いころより菓子や料理の世界にあこがれを抱いて育つ。97年、青山学院短期大学家政学科を卒業。同年春、ジャパン・フードコーディネーター・スクールに入学。通学の傍ら、ピッツァチェーン店のフロアサービスや料理関係のプロダクションでのアルバイトをしつつ、フードスタイリングや料理のレシピ制作を手掛ける。現在、NHKの人気番組「ためしてガッテン」の料理コーディネートを担当するほか、テレビ、雑誌、食品メーカーなど手掛ける仕事のジャンルは多岐にわたる。


 「子供のころから料理を作るのが好きで、人と接することも大好きでした」という東京・下町育ちの新田亜素美さん。

大学の卒業を控えて、友達が次々と就職先を決めていく中で、小さいころからずっと「パティシエになりたい」と考えていた新田さんはあえて就職活動をしなかったそうだ。

その夢をかなえるために知人に相談したところ、「一度会社員として就職をして、3年間働いてみてから考えたら」と論された。パティシエという仕事の大変さをかんがみ、夢にのめり込んでいた新田さんのいちずさをいさめようと思ったのに違いない。

ところが、新田さんの気持ちは高まりこそすれ冷めることはなかった。何とかして食の世界で仕事をしたいという思いが募るばかり。

知人に相談をしに行ったその足で、書店に立ち寄り「何とかヒントを」と、女性向けの資格ガイド本を購入した。その出版元に電話をして、日本フード・コーディネーター協会の存在を知り、さらにジャパン・フードコーディネーター・スクール(JFCS)の存在を教えてもらった。こうして大学を卒業した翌月に、JFCS第6期生として入学することになった。

チャンスを確実に生かし次の仕事の糧に

その後は週2回JFCSへ通いながらアルバイトを掛け持ちする日々。生活費を賄うためにピッツァレストランでフロアサービスのアルバイトをしたり、料理研究家の先生の下でアシスタントとして働いたりした。

ハードではあったが、JFCSに在籍した1年間で、講師陣や同期生に多くの友人、知人を得ることができた。現在でも交流があり、仕事で助け合うことも多いという。

「JFCSを卒業して間もなく、テレビのプロダクションで制作を担当している大学時代の先輩から、料理のスタイリングのできるスタッフを探していることを聞き、早速プロデューサーに紹介してもらって採用されました」

この時が、新田さんのテレビにおける初仕事になったのだ。

次に得た大きな仕事は、料理番組の嚆矢ともいえる「料理バンザイ!」だった。この仕事に就くきっかけとなったのは、JFCSの同期生からの情報。応募者の中で新田さんが一番若く、その若い感性を買われて採用された。

「フードビジネス・コーディネーターになって3年目。まだ経験が浅く、苦労の連続でした。毎回、勉強をしながら番組のゲストに合わせた器選びをする状態で、ディレクターからOKがもらえず、自分の未熟さにトイレで一人泣いたこともありました」

自分の手に余る大仕事ではあったが、こんなチャンスはめったにあるものではないと割り切り、番組終了まで仕事を務め上げることができた。

当時はまだ、フードビジネス・コーディネーターの仕事のみでは生活ができなかったため、アルバイトはずっと続けていた。

そうしたある日、アルバイト先の近くにオープンした中国料理店のオーナーシェフから「うちの店で働かないか」と声を掛けられた。きっと新田さんのサービスぶりを見て、ピンとくるものがあったに違いない。しかし、自分が現在進もうとしている道、手掛けている仕事について話し、そのスカウトは断ったつもりだった。

ところが、しばらくして、そのシェフから連絡があり、テレビの仕事をしないかと誘われ、新田さんは仰天した。

それでも依頼された仕事を見事にこなしたことから、その後もレギュラーで仕事の依頼が来るようになった。さらに、そのシェフの店の厨房で1年間、中国料理の手ほどきも受けることができた。

まさに、新田さんにとっては“あしながおじさん”のような存在のそのシェフは、現在はJFCSの講師の一人、「麻生長江」の長坂松夫さんだった。当時、長坂さんは高松から麻布へ進出してきたばかりのころで、新田さんが長坂さんの存在を知らなかったのも無理はない。「今、得意な料理ジャンルとして中国料理を挙げることができるのも、仕事が軌道に乗り始めたのも、あの時に長坂さんから声を掛けていただいたおかげです」と、新田さんは、当時を思い出しながら話す。

ハプニングが付きものの仕事現場「何事も楽しんで」がモットー

フリーランスで仕事をしている者にとっては、その時々の仕事にベストを尽くすことが求められる。しかし、その仕事がずっと続くわけではなく、終止符がある。だから仕事の依頼があれば、無理を押してでもオーバーワークになりがちだ。「私も一時は、依頼された仕事をすべて引き受けてしまいました。でもそんな私を見かねて『24時間営業のコンビニ状態ではいけない。場合によっては断る勇気も必要だよ』と、知人が忠告してくれたのです」

その忠告を聞いた新田さんは以後、依頼はありがたくても状況や仕事の内容によって仕事の質を保つために断ることの大切さを学んだという。

そして、受注した仕事には、クライアントの期待以上に結果を出してきた。そうした努力のかいもあって、徐々に自分に適した仕事の依頼が舞い込むようになった。新田さんの活躍の場が広がるにつれ、最近ではスタイリングを手掛けたいというフードビジネス・コーディネーター志望者が訪れてくるようになった。相談を受けたときに、新田さんは自分のように仕事を通じてスタイルを確立するよりは、先生に付いて習って基本を固めることが早道だと薦める。そして、多数の現場での経験を踏まえた実感から「この仕事は現場ありき。現場にはハプニングが付きものなので、本当に楽しんだ者勝ちです」と伝えるようにしているという。